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鹿児島の「宝」を巡る旅
2025.10.28
鹿児島が誇る工芸、薩摩切子を手掛ける二つの工房を訪ねて
「幻の工芸品」とされてきた薩摩切子は40年前、職人たちの努力により「島津薩摩切子」として蘇った。なかでも江戸時代当時の姿を再現した「復元」シリーズは、圧倒的な存在感を放つ。「薩摩ガラス工芸」にて。(価格は後述)
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どうすれば、こんな美しいグラスができるのだろう? 切子に出会った人は、誰しもその美しさに心を奪われ、そして不思議に思う。切子とはカットガラスの日本での呼び名である。日本各地に残る切子のなかでも、名が知られているのは薩摩切子と江戸切子。とりわけ薩摩切子は、厚めのガラスに施された精緻なカッティングが生みだす文様と、光を受けて煌めく艶やかなグラデーション、手に持ったときにずしりと感じる重厚感を特徴とする。「南の宝箱 鹿児島」を巡る旅、今回はこうした薩摩切子を手掛ける二つの工房「薩摩ガラス工芸」と「ART DESHIMARU」を訪れた。
薩摩ガラス工芸
100年以上も製造が途絶えた薩摩切子を復元
薩摩切子は、島津家28代当主の島津斉彬が、近代化事業の一環としてガラス製造を進めたことに端を発するものの、明治維新やそれに続く西南戦争の混乱により、100年以上も製造が途絶えてしまった。そのため「幻の工芸品」とも称されてきた。
薩摩の紅硝子(びーどろ)と呼ばれ、かつては島津家から公家や大名家への贈答品として珍重されてき薩摩切子を、なんとか復元させたい。人々のそんな熱い思いがかない、1985年から「薩摩ガラス工芸」として、復元に向けての取り組みが始まった。翌年には工場が完成。場所は島津家ゆかりの地「仙巌園」の隣で、復元の中心となったのは、やはり島津家だった。工場の建設と並行し、残っていた資料などをもとにした試作品製作の試行錯誤が繰り返され、1986年にようやく復元に成功し、商品化も始まった。100年以上の歳月を経て、こうして蘇った薩摩切子は「島津薩摩切子」と名付けられた。
厚さ1㎜前後の薄手の色ガラスにシャープなカットを入れ、全体的に軽やかな仕上がりを特徴とする江戸切子に対し、薩摩切子は、時には5㎜もの厚さの色ガラスへのカッティングと、クリスタルガラスならではの透明感が複雑に入り混じったさまざまな文様が、ひと際華やかな表情を醸し出す。
なかでも、クリスタルガラスと、その外側に被せた色ガラスという2層ガラスの接面点への繊細なカッティングが醸し出す、「ぼかし」と呼ばれる独特のグラデーションの風合いが、文様により深い奥行きをもたらす。
「薩摩ガラス工芸」は「島津薩摩切子」を生み出す工場と、工場に隣接するショップ「磯工芸館」などがあり、見学が可能な工場で、こうした特徴を持つ薩摩切子が出来上がっていく様子を、間近に見ることができる。
「薩摩ガラス工芸」の工場は見学が可能。薩摩切子が生みだされていく様子を間近で見ることができる。
阿吽の呼吸で合体する、高温の色ガラスとクリスタルガラス
「吹き場」と「カット場」。工房は大きく二つに分かれている。「吹き場」は薩摩切子の生地を作る場。文字通り、吹き竿でガラスを吹いて成形していく場だ。二人の職人がそれぞれステンレスの吹き棒を持っている。片方の吹き棒の先端には、窯から巻き取られた色ガラスの塊が、もう片方の先端にも窯から巻き取られたクリスタルガラスの塊がついている。もちろん竿の先のガラスは、窯から取り出したばかりの、ドロドロに溶けオレンジ色に発光している液状の高熱ガラスだ。
色ガラスの吹き棒を持った職人が金型に色ガラスを吹き込んだ後、すぐさま今度はクリスタルガラスの吹き棒を携えた職人がその金型の中へクリスタルガラスを吹き込む。阿吽の呼吸でその二つを合体させることで、外側が色ガラス、内側がクリスタルガラスという生地が作られていく。作業は高温の室内のなか黙々と進む。二人が声をかけあうこともない。お互いの技術を信頼した熟練の職人技がそこにはある。
吹き竿に巻き取られた約1400度の高温のガラスの塊を成形していく。
吹き竿の先の二層となったガラスは、やがて金型の中に吹き込まれ、形が整えられていく。
内側にクリスタルガラス、外側が色ガラスでできた分厚い生地をカッティングすることで生まれる薩摩切子ならではの美しさ。製造現場を見学することで、その美しさの成り立ちを肌で感じることができる。
「色被せ」(いろきせ)と呼ばれるこの工程の後、色ガラスとクリスタルガラスの2層となったガラスの塊は、再び金型の中に吹き込む「型吹き」、16時間かけて冷却する「徐冷」(じょれい)を経て、検査した後に「カット場」へ運ばれる。
「吹き場」が“動”の作業ならば、「カット場」は“静”の作業だ。職人は椅子に座り、各々の作業をこなしていく。金型から取り出された原型に、カット模様の線を油製ペンで描く「当たり」。描かれた線にそっておおまかな模様をグラインダーで削る「荒ずり」。そしてさらに細かな模様を施す「石かけ」と最終工程の「磨き」。集中し、黙々と作業を進める職人の姿は美しい。
文様の下書きとなる縦横の分割線を油性ペンで引く、「当り」(あたり)と呼ばれる作業。
高速で回転するダイヤモンドホイールと呼ばれる工具で、ガラスの表面が削り込まれていく。
「吹き場」ではどろどろに溶け、オレンジ色に発光していた液状の高熱ガラスが、「カット場」では、紅や藍を纏った硬質な薩摩切子へと変貌していく工程を目の当たりにすると、100年以上も前にこの複雑な工法を編みだした人々の知恵と、途絶えていたそれを再現した薩摩の人々の熱意に胸を打たれる。
20年前に再現された、気品あふれる「島津紫」
ショップ「磯工芸館」は工場のすぐ隣の建物だ。足を踏み入れると、煌びやかな色彩の洪水にまず圧倒される。藍、緑、黄、紅、金赤、島津紫。6色の色ガラスを纏った数多くの薩摩切子が一斉に微笑みかけてくる。厚目のガラスが発する重厚な赤や青、軽やかに輝く緑と黄色。精緻なカッティングがこうした色彩をより鮮やかに引き立てている。展示されている商品も豊富だ。花瓶、鉢、タンブラー、小皿、猪口、愛らしいペンダントトップ……。工場で日々行われている大変な作業を目の当たりにしてきただけに、ひとつひとつの商品がより存在感を増してくる。
色とりどりの薩摩切子が並ぶショップは、まるで万華鏡の中を歩いているかのよう。
江戸時代に作られた当時の姿を今に伝える「復元」シリーズは、薩摩切子らしい重厚感と存在感を放つ。右、酒瓶「亀甲」・407,000円 左、丸十花瓶・407,000円(価格は税込)
「復元シリーズ」には、猪口などの小物類も豊富。右から、小付鉢・48,400円、猪口大・33,000円、猪口大・36,300円、脚付杯(中)107,800円。(価格は税込)
なかでも目を引くのが、「島津紫」と呼ばれている、気品溢れる紫だ。島津斉彬が所持していた薩摩切子の茶碗に使われていた優美な紫色をもとに、20年前に再現された紫色が彩る鉢やタンブラーが、薩摩切子の伝統と格式を象徴する。また、2025年は薩摩切子復元の40周年にあたる記念すべき年で、記念作品や限定商品も幾つか作られている。
復元40周年を記念して作られた、大鉢・1,210,000円と、タンブラー・82,500円。(価格は税込)
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産として登録されている「仙巌園」は、鹿児島を訪れた人の多くが、旅の目的地とするスポット。薩摩藩主の別邸だった御殿と尚古集成館で島津家の歴史や薩摩藩の偉業に触れたあとは、「薩摩ガラス工芸」で、薩摩の人々が育んできた美意識に触れる。こうした充実のひとときを、桜島が静かに見つめている。
薩摩ガラス工芸
鹿児島県鹿児島市吉野町9688ー24
Tel:099⁻247-2111
営業時間:8時30分~17時
定休日:月曜日、第3日曜日
ART DESHIMARU
試行錯誤して辿り着いた、黒の薩摩切子
「黒豚、黒牛、黒糖、黒酢、そして黒麹を使った本格焼酎。鹿児島は黒の文化が息づく土地です。だとしたら、黒い薩摩切子があってもよいのでは。そう考えたのが始まりです」
「美の匠 ガラス工芸 弟子丸」の代表で、切子師を名乗る弟子丸 努さんは、自身が手掛けた作品を前にそう語る。弟子丸さんは、島津家が中心となって進められた薩摩切子復興事業に当初から関わり、薩摩切子が出来上がるまでのプロセスを当事者としてつぶさに見てきた。その貴重な体験を活かし、自らの技術を磨きながら、2011年に「美の匠 ガラス工芸 弟子丸」を立ち上げた。
黒い薩摩切子を弟子丸さんは「霧島切子」と命名した。工房の所在地が霧島であることもさることながら、黒という色が持つ深みは、神々が住まうといわれてきた聖なる山、霧島にも通じると考えたからだ。漆黒にも近い黒は、薩摩切子独特の重厚感と相まって、荘厳な趣を作品にもたらしている。
「霧島切子」と名付けられた、黒の薩摩切子。黒と透明ガラスのモノトーンの世界は、静謐にして荘厳。
「黒いガラスをカッティングするのは、高度な技術が求められます。なぜならば、黒色は光を通さないので、カットする際に刃がどの深さまで入っているか、目で見えないのです。カッティングの要は、どこまで彫り込むかをミリ単位で調節すること。刃が見えないので、手先の感覚で彫っていくしかありません」
試行錯誤して辿り着いた黒の薩摩切子は、弟子丸さんの代名詞ともなった。
悠久の歴史の重みを感じさせる黒と、どこまでも透明なクリスタル。そこに彫り込まれた弟子丸さんならではの独自のカッティング。しんと静まり返った、静謐という言葉が相応しい、気高さが薫る作品だ。また、「霧島切子」には、まったく色を被せず、無色透明なクルスタルの輝きと、そこに施された精緻なカッティングを味わう作品もある。
「霧島切子」には、無色透明なクリスタルに刻み込まれた高度なカッティングが生みだす、美しい文様を味わうシリーズもある。
もちろん、伝統的な「薩摩切子」も弟子丸さんは数多く手がける。修業時代に培ったオーソドックスなカッティングに、独自の技法を組み合わせることによって生まれた文様は、「薩摩切子」ならではの「ぼかし」によるグラデーションと相まって、独特の美しさを醸し出している。さらに、製作の過程で生じてしまうガラス廃材を利用し、ペンダントトップやさまざまなアクセサリーに再生した「eco KIRI」 や、カッティングを施したステンドグラスからの透過光を室内で味わう「fusion」など、弟子丸さんは、これまでの「薩摩切子」の概念にとらわれない、新たな試みに絶えず挑戦している。
右から、繁盛升・150,000円、ハイボールタンブラー彩雲・230,000円、天開タンブラー極黒・110,000円(いずれも税別)
彩も鮮やかな作品が並ぶショップ。さまざまなカッティング技法を見比べるのも楽しい。
体験工房でアクセサリーやグラスなどのカッティングに挑戦
弟子丸さんを中心とした「美の匠 ガラス工芸 弟子丸」のスタッフが手掛けた作品のショップが「ART DESHIMARU」である。店内は「霧島切子」をはじめ、「薩摩切子」「eco KIRI」など、さまざまな作品が並ぶ楽しいスペースとなっている。「ART DESHIMARU」では、カッティングの体験も行われている。作ることができるのは、アクセサリーからタンブラーまでさまざま。
グレーと赤とのコントラストが印象的な「ART DESHIMARU」のたたずまい。
瀟洒なショップには、「霧島切子」をはじめ、さまざまなラインの作品が並ぶ。
ショップに併設された体験工房では、所定の料金を払い、アクセサリーやタンブラーなど、さまざまなタイプの切子に挑戦することができる。
アクセサリーに挑戦してみた。コイン状のブルーのガラス片を両手で持ち、高速で回転するダイヤモンドホイールと呼ばれるカット工具に、恐る恐る押し当てる。ギーンという金属音とともに、削られた部分の奥にある透明ガラスが白いラインとなって現れる。縦横斜めと、均等の放射線を4本入れようとするも、線の長さや間隔が揃わず、無様な放射線となってしまった。削る深さが均一でないために、ラインそのものの幅も異なっている。
カッティングを実際に体験し、切子の製作がいかに高度な技術を必要とするか、改めて実感した。
「炉火純青」を座右の銘として
「中国には『炉火純青』という言葉があります。炉の炎が青くなった時にもっとも温度が高くなることから転じ、学問や技芸が最高の粋に達することを意味します。この言葉を常に心に抱き続け、新しい煌めきを生み出したいと思います」
切子師、弟子丸さんの切磋琢磨は今日も続く。
薩摩切子の製作に40年近く携わり続けてきた弟子丸さん。まさに切子師と呼ぶにふさわしい。
ART DESHIMARU
鹿児島県霧島市隼人町小浜1817⁻1⁻2
Tel:0995⁻73ー4747
営業時間:10時~18時
定休日:木曜日
豊かな自然と、そこで暮らす人々の知恵が結びついたとき、その土地にはさまざまな「宝」が生まれる。鹿児島県の各地で生まれ、光り輝く数々の「宝」。それらは今や、世界が注目する存在になりつつある。
そんな鹿児島の宝を巡る旅は、これからも続く。これまでの「南の宝箱 鹿児島を巡る旅」は以下から。
Photography by Azusa Todoroki(Bowpluskyoto)
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旅館の矜持 THE RYOKAN COLLECTIONの世界
2025.10.27
新潟「旅館ホテルryugon」井口智裕社長 日本の地方が生きる道を地域全体で実践!
レセプション前の和の空間と井口社長。建物は文政年代のもので、国の重要文化財に指定されている。大きな赤いソファは地域の雪をモチーフにしたもの。
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「ザ・リョカンコレクション」に加盟する旅館の女将や支配人を紹介する連載「旅館の矜持」。今回は「ryugon(龍言)」の社長・井口智裕氏を紹介する。
その宿は上越新幹線の越後湯沢駅から車で30分、上越線の六日町駅からは車で4分ほどの距離にある。東京駅で新幹線に乗れば、たった2時間以内に到着できる。新潟県南魚沼市で異彩を放つ「旅館ホテルryugon(龍言)」は、幕末期の古民家を移築した木造建築の宿だ。
居心地の良い広大なラウンジに感嘆
外観は木造と白壁のコントラストが見事で、その美しさに目を奪われる。誰もが感嘆するのは、レセプション前から、何室にもわたって奥へ奥へと広がるラウンジだ。
「日本の旅館にこうしたラウンジはどこにもないですよね。だからこそ価値があると思って造りました。念頭にあったのは、特に海外のお客さんにくつろいでもらえることでした」
と語るのは「ryugon」の井口智裕社長である。
「旅慣れた外国のお客さんや日本の方が、ここで本を読んでくれていたりすると、狙いにハマってくれたと嬉しくなりますね」
囲炉裏ラウンジにて。秋から春までは火がともされる。丸いクッションも雪のイメージだ。
囲炉裏を囲む一画があり、バーカウンターがあり、趣味の良い本を揃えた図書室があったりする。しかも、アーティスティックな椅子もあれば、昔ながらの座椅子もあり、テーブルもソファも多種多様だ。中にはカップルが座るのに最適な、かまくら型のソファもある。
それでいて雑多な印象はない。窓から見える景色が変わるから、気分も変わる。実際に、夕食が済んだ後に、このラウンジでまったりと過ごす宿泊客が多いのは印象的だった。部屋に帰るよりも、居座りたくなるのだろう。
この部屋も文政年代のもの。しっとりと落ち着くラウンジだ。
重要なのは地域全体のボトムアップ
井口社長が街と宿の関係について語る。
「『ryugon』がある南魚沼市の六日町は、観光客が来るような街じゃありません。宿の外を散歩すれば綺麗な田んぼの風景があって農作業をしている人たちがいる。田舎の日常の暮らしが感じられる土地です。宿から街の中心部も近いので、地元の人が行く居酒屋でご飯を食べるとか、そういう楽しみ方もできます。一方で、坂戸山の裾野に宿はありますから、自然も充分に感じられます。ここは街と自然の両方が堪能できる絶妙な位置なんですね」
確かに、客室やラウンジなど宿の至るところで、山の緑が目前まで迫ってくる。
ヴィラへと続く雪国伝統の雁木(がんぎ)の廊下と池。画面奥の緑は、もう山の裾野だ。
社長は続ける。
「私が望むのは連泊してもらうことです。1泊では、とても地域の文化は分からないからです。この宿に滞在しながら、地域の文化や暮らしを楽しんで欲しいのです。地元の人と触れ合う、そうすることで初めて、文化としての重みを感じることができるのではないでしょうか。連泊すれば、今日の晩御飯は街で食べて、宿に帰ってきて、バーは12時までやっていますから、軽食を食べながら一杯やる。あるいは今日の夜は軽くそばでいいとか、カレーライスでいいとか、ビーフサンドにするとか。そのために館内フードメニューがあるんです。もちろん、ルームサービスでもご利用できます。
そんな風に宿を使ってもらいたいですね。宿はあくまでも街全体を楽しんでもらうための拠点基地にすぎません」
ちなみに、宿泊しなくともラウンジ利用と入浴ができるプランもある。なにしろ、思いつく限りのサービスが用意してある。
宿をリピートする3つの条件
思考はさらに深化してゆく。
「‶地元にいいお店があれば、宿の稼働率は上がる″というのが僕の‶思想″です。自分のところでも料理は頑張りますが、地元にいいレストランが増えることのほうが楽しい。宿を拠点にして2泊3泊したくなりますよね。
僕は世界中を旅行しているので、行きたくなる場所には必ずと言っていいほど‶必勝の法則″があります。
1に泊まりたくなるような宿があり、2に体験したくなるようなアクティビティがあって、最後はいい食文化があること。この3つが掛け算となって、魅力を生み出す。条件が1個でも欠けると、人はリピートしないんじゃないでしょうか」
「ryugon」が多彩なアクティビティを提案するのもそのためだ。恐るべき数のメニューがある。
山菜狩り・きのこ狩り、田んぼを自転車で走るポタリング、坂戸山トレッキング、まちぶらツアー、冬ならば雪かき体験や雪上のガストロノミーや雪原スノーピクニック、施設内なら土間クッキング、煎餅焼き体験、土鍋ごはんで作る絶品おにぎり体験……まだまだ続く。
ちなみに、10台ある電動アシスト自転車はBESV(ベスビー)という台湾製で、連続で90kmの走行が可能だそうだ。どこにでも行けちゃう。
軽トラックをレンタルして野山を走るプログラムもある。
「僕らがアメリカに行ったらピックアップトラックをレンタルして砂漠を走りたいとか、ハワイに行ったらオープンカーに乗りたいという発想と同じです。20代の女子が麦わら帽子をかぶって、軽トラで田んぼ道を運転したら、インスタ映えしませんか」
これはイケてるかも。
玄関前に立つ井口社長。木造と白壁のコントラストが美しい。
宿とは‶思想〟の集積である
井口氏がここに至るには、実は、積み重ねた思考の長い歴史があった。
宿の原型である「温泉旅館 龍言」は、1960年代に出来た。建物は幕末時代に建てられた地元六日町の豪農の館や武家屋敷を移築したものだ。大小16の家の集合体で、本館は重要文化財に指定されている。その経営が井口社長に譲渡されたことを機に、リニューアルが施され、現在の姿になった。それが2019年のことだ。
「私は17年前の2008年から『雪国観光圏』という活動してきました。課題は、地域固有の雪国文化をどうやって地域に根付かせるかでした。ですから、『龍言』をリニューアルする際に主眼を置いたのは、この地域の文化や暮らしを宿の中で表現することです。
日本の文化を体験しながら、ある程度は高品質な時間を過ごしつつ長期滞在できるということ。そのためには、ただ古い建物だけじゃダメですから、現代の快適性も入れ込みました。
目指したのは、フランス・ブルゴーニュ地方のワイナリーのシャトーに1週間連泊するような旅のリテラシーを持った人が、居心地が良いと感じられる宿です。宿というのは、一つ一つの思想の集積なんですね」
門を壊し、地域になじませる
「この土地に高級旅館を造ったという感覚はあまりありません。第一、旅館は門構えが立派で、そこから先は宿泊者しか入れないような‶結界″を感じさせますよね。だから、まず、その立派な門を壊して、名前も『龍言』から『ryugon』に変えました。そうすることで、格式を取っ払って、地域になじませたかったのです。
だから、ここはいわゆる高級旅館ではありません。旅館ホテルなのです」
門を入ってすぐ左手にあるryugon cafeの横で。中は土間スペースになっている。
門をくぐるとすぐ左手にカフェがあり、右手には地元の品々を揃えたかなり大きなセレクトショップを配したのも、人が敷居を越えやすくするためなのだろう。
「日本人は敷地内だけで完結するいい旅館を求めていますよね。だけど、海外から日本のローカルを味わいに来た人にとっては、別にとびきり高級な旅館である必要はありません。4スターぐらいでいいのです。彼らは旅のプロセスがどうあるかを優先させていますから」
そうは言っても、客室は居心地が抜群に良かった。部屋の価格はクラシックルームの2万円余から、新築したヴィラ・スイートの20万円と幅広いところから選択できる。
ヴィラ・スイートのテラスに備わった露天風呂。目の前に雪があったら最高だろう。
「雪国文化」とは何か
では、さきほどから出てくる「雪国文化」とは何なのか。
「雪国文化って言うと、古い建物だとか茅葺屋根とか藁細工とかを想起しやすいですよね。それだと過去の継承のままで終わってしまう。文化というのは、過去・現在・未来の文脈の中にあると思うのです。僕らは雪とともに生きてきたので、そこで育まれた暮らしの知恵みたいなものを、未来に向けて表現したい。例えば、赤い円形の大きなソファや囲炉裏の周囲にある丸いクッションは、この地域の湿度がある重たく丸い雪を表現しているものです。ライブラリーの横にあるソファも、かまくらのイメージです。それらはすべて特注の家具です」
いちばん奥にあるラウンジ「図書室」から眺める雪景色。
「雪国観光圏」構想とは何なのか?
「そもそもは新幹線が金沢まで延伸する2014年問題がやって来るということがきっかけでした。それまでは越後湯沢から金沢までは特急だったのですが、新幹線が金沢まで伸びたら、われわれのような途中の街はどうすればいいのか。それで、新潟や群馬などの7町村の有志が集まって雪国観光圏を作ったのです。要は、エリア全体で金沢に匹敵するようなブランドを創らなきゃいけないということでした。
その核心部分はやはり雪国文化なんですね。同じ新潟県からは『里山十帖』の岩佐社長、群馬県みなかみ村からは『仙寿庵』の久保社長なども参加しています。僕らは宿ですから、施設に雪国文化をいかに落とし込むかをずっと考えてきたわけです」
井口氏の雄弁さは17年間に及ぶ思考の帰結だ。
冬の稼働率は、何とほぼ100%!
従って、冬がいちばん分かりやすいのだそうだ。
「1階部分は完全に埋まってしまって2階まで雪が積もる。赤ワインを片手に雪を眺めながらボーッと過ごすのがいい。雪そのものに価値があるわけです。冬の稼働率はほぼ100%ですから、お客様も冬の良さを感じていらっしゃるんです。なんか居心地がいいんだよねーってことでしょうね」
ほかに、提案するものは?
「新潟と言いますと、米と酒のイメージしかないでしょう。スキーなら長野県のほうがいいよねと思われちゃうし。世界遺産があるわけでも、名所旧跡があるわけでもない。南魚沼は日本の地方のどこにでもあるような街なのです。そこで、地域の文化に根ざした格好をつけない丁寧な旅を提案したいのです。名物料理なんかないけれども、冬の料理には雪国文化が詰まっています」
しかし、食事も相当なものだ。「雪国ガストロノミー」なるフルコースは地域の食材に溢れていてとても良かった。
「もちろん、お客さんが求められるレベルのものはお出ししています。一年でメニューは5回変わりますが、3泊ぐらいでしたら、全部のメニューを替えられます。何ならビーガンやベジタリアン対応も100%できます。当日に言われても対応できます。メニュー開発はずっとやっていますから、ビーガンで3泊分も問題なく出せます」
コースの〆に出される炊き立ての魚沼産コシヒカリ塩沢地区限定一等米とけんちん汁。このご飯の甘さ、ねばり、粒立ち、その美味しさと言ったら経験したことがないほどだ。地方の野菜で作ったけんちん汁も凄まじく美味しい。
いちばん食べて欲しいものは、春先の山菜だそうだ。
「山菜の存在を、世界に向けて発信したいですね」
印象深かったのは、朝食のバイキングでご飯をよそってくれる地元のおばちゃんスタッフの言動だ。日本語をまったく解さない白人に向かって、「ご飯はどうする?」「もう少し入れるが?」「味噌汁はどお?」と普通に話しかけていた。こういう触れ合い方は、最高に素晴らしいと思う。
地域が持つ絶対的な価値に紐づいた宿
井口社長の発想は相当に珍しい。というか、宿を街との関係性の中で捉えているところがまったく斬新だ。
そもそも、どういう経歴の人なのか?
「もともとは越後湯沢駅前にある旅館『越後湯澤 HATAGO 井仙』の4代目です。地元の高校を卒業してアメリカの大学に留学しました。ワシントン州のスポケーンにあるイースタン・ワシントン大学の経営学部でマーケティングを専攻しました」
そのままMBAを取ろうと思ったが、社会経験がないことに気づき、実家に戻る。
「当時の実家は駅前の温泉旅館で『湯沢ビューホテル井仙』という名称でした。1泊1万円ぐらい。経営が大変だったので、立て直す必要があり、2005年に『越後湯澤 HATAGO 井仙』としてリニューアルオープンしました。
そんなことをしているうちに、湯沢という土地そのものをリブランドしなきゃダメだと思い始めた。湯沢はスキーと温泉というイメージが強すぎるから、スキー以外の時期は困ってしまう。そこで、17年前に雪国観光圏を自分で立ち上げて、取り組んできました。その経緯の中で、『ryugon』をリニューアルした話につながります」
井口社長はこう締めくくる。
「高級旅館だけだったらライバルはいくらでもいるし、お客さんにしてみれば、ウチじゃなくてもいい。ならば、雪国文化というブルーオーシャンで戦いたい。
旅館単体だったらすぐに負けちゃう。でも、地域というものは、他の地域が真似したくともできません。地域が持つ絶対的な価値に紐づいた宿を造れば、とても強固なものになります。この戦いを宿一軒だけで取り組むのならば勝負になりませんが、私たちは地域全体としてそれをやっているのです。他の旅館さんも関連する飲食店さんもそうです。
そこにこそ日本の地方の生きる道があると考えています」
井口智裕(いぐちともひろ)
1973年新潟県南魚沼郡湯沢町生まれ。Eastern Washington University経営学部マーケティング科卒業。旅館の4代目として家業を継ぎ、2005年「越後湯澤HATAGO井仙」をリニューアル。2008年に周辺7市町村で構成する「雪国観光圏」をプランナーとして立ち上げ、運営に尽力し、観光庁の観光産業検討会議の委員も務める。2013年一般社団法人雪国観光圏を設立し、代表理事に就任。観光品質基準、人材教育、CSR事業など広域観光圏事業を中核的に推進している。著書に『ユキマロゲ経営理論(2013年、柏艪舎)』。
構成/執筆:石橋俊澄 Toshizumi Ishibashi
「クレア・トラベラー」「クレア」の元編集長。現在、フリーのエディター兼ライターであり、Premium Japan編集部コントリビューティングエディターとして活動している。
photo by Toshiyuki Furuya
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グルメ最前線 トップレストランを探訪する
2025.10.25
大阪・関西万博「EARTH MART」in「飛鳥Ⅱ」レポート 日本の新しい食を生み出す前例なき交差点
国内外から選ばれた「食の未来を輝かせる25人」。
大阪・関西万博のシグネチャーパビリオン「EARTH MART」のフィナーレが、大阪港を出港するクルーズ船「飛鳥Ⅱ」内にて、開催された。
食に関わる200名が集結
総合プロデューサー小山薫堂のもと、食の未来を語り明かすべく、料理人、生産者、研究者、経営者、投資家、ジャーナリストなど200名が一堂に会した。
「そもそも大阪・関西万博『EARTH MART』の企画を始めたのは今から5年前、ただの埋立地だった会場予定地に立ちました」
小山は語る。
「そのフィナーレとして、食に関わる分野の異なる人々が、船の上で1泊2日を過ごします。この場所で、新たに出会い、未来に向かって新たな種を蒔く。そこにこそ最大の意義があります」
確かに、食を取り巻く異業種の人々がこれほど参集するのは、まさに空前の画期的な試みである。ちなみに、「飛鳥Ⅱ」は郵船クルーズによる貸し切り提供だ。
「食の未来を輝かせる25人」を選出
当イベントの目玉は3つ。1つ目が、「食の未来を輝かせる25人」を国内外から選出したことだ。
その一部を紹介すれば、「飯田商店」の飯田将太(神奈川県・湯河原町)、「リージョナルフィッシュ株式会社」の梅川忠典(京都市)、「タネト」店主の奥津爾(長崎県雲仙市)、「FARO」シェフパティシエの加藤峰子(東京・銀座)、「味の素株式会社 食品研究所」の川崎寛也(神奈川県川崎市)、「里山十帖」料理長の桑木野恵子(新潟県南魚沼市)、「MAZ」ヘッドシェフのサンティアゴ・フェルナンデス(東京・紀尾井町)、「北三陸ファクトリー」の下苧坪之典(岩手県・洋野町)、「サスエ前田魚店」の前田尚毅(静岡県焼津市)、「中央葡萄酒株式会社」の三澤彩奈(山梨県・勝沼町)、「ESqUISSE」のリオネル・ベカ(東京・銀座)……らである。
2つ目は、その25人が12組に分かれて、「食の未来会議」でトークセッションを行ったことだ。
RED U-35のシェフ6人と監修した落合シェフ(中央)。
RED U-35のグランプリシェフたちによる饗宴
そして最後に、2013年から開催している新時代の若き才能を発掘する日本最大級の料理人コンペティションである「RED U-35 (RYORININ‘s EMERGING DREAM U-35)」で、過去にグランプリを受賞した10名のうち6名が、200名の招待客にコースディナーを提供してくれたことである。
そのシェフたちを列挙すると、福岡市「Restaurant Sola」の吉武広樹、東京都「スーツァン レストラン 陳」の井上和豊、小松市「Auberge“eaufeu”」の糸井章太、山梨県「nôtori」の堀内浩平、京都市「日本料理 研野」の酒井研野、東京都「ESqUISSE」の山本結以の面々だ。
様式としてはフレンチ、日本、中国にまたがるシェフたちの料理を、1人1皿で合計7皿(山本がデザートも担当)の見事なコースに仕立てた。監修したのは「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の落合務である。誰もが口々に歓びの声を上げた。
「スーツァン レストラン 陳」井上和豊による「発酵唐辛子と鮮魚の蒸しスープ」。
それに先んじたランチバイキングでは、ミシュラン2つ星の「ESqUISSE」リオネル・ベカの「見守る海 牡蠣水寒天ゼリー」、さらにはアジアベストパティシエで「FARO」の加藤峰子が金谷亘と共作した「薔薇と杏仁の錦玉羹」などが供されるという豪華さだった。
白熱のトークセッション
「食の未来会議」についてもう少し詳しく説明したい。先ほどの25名が、テーマを立てて基本的に1対1でトークセッションを行う。同じ時間帯に4つの分科会が同時進行しそれが3セットなので、梯子をすれば別だが、基本的には3つしか傍聴できないシステムだ。
どのセッションも魅力的で、選ぶのは困難だったが、筆者が参加したセッションはいずれも素晴らしかった。
「Oishii Farm」古賀大貴×「北三陸ファクトリー」の下苧坪之典のセッション。
そのうちから2つを紹介すると、まず、「Oishii Farm」古賀大貴×「北三陸ファクトリー」の下苧坪之典のセッションで、テーマは「日本発『食のGAFAM』は生まれるか」。古賀はニューヨーク近郊で日本のイチゴを工場生産している。
「ハチによる受粉がなければ不可能と言われた、イチゴ、トマトなどを新しい技術で作っています」(古賀)
空輸したイチゴを試食したが、実に甘く豊かに広がる味がした。未来においてはあらゆる作物が栽培可能になると予告する。どんな条件下でも無農薬で美味しい農産物が作れるから、食糧難を解決する革命的な植物工場と言える。
「ウニは海藻を食い尽くし、磯焼けを引き起こす海のギャングです。また、海産物には『2048年問題』というものがあって、海に対して何も施さなければ、その頃には、海産物が食べられなくなってしまうと予測されています。それを養殖の割合を増やすことで解決したい。ウニの再生養殖から始めてみようと考えました」(下苧坪)
寿司が食べられなくなる時代は確実にやって来る。それは、魚が卵を産み付ける海藻がなくなってしまうからだ。それを止めるための一つの方策が陸上での再生養殖の技術なのである。
「人々は野菜や肉には関心を示すが、海の危機に対してあまりに無関心であることが最大の問題です。現在日本の天然8割・養殖2割、この割合を変えていかなければなりません」
「味の素株式会社 食品研究所」川崎寛也×ジャーナリスト・仲山今日子のセッション。
フェラン・アドリアとの対峙
もう一つは、「味の素株式会社 食品研究所」川崎寛也×ジャーナリスト・仲山今日子で、テーマは「食は『消えるアート?』『再現可能なデザイン?』本物のおいしさを継承するために必要なこと」。
世界の料理を変えたスペイン「エル・ブジ」のフェラン・アドリアが日本料理について本を書いているという。セッションでは、日本料理の本質を知ってもらいたいと、彼のプロジェクトをサポートする仲山が、フェランを味の素の研究所に連れてきた際に、川崎に引き合わせたエピソードを披露した。
「フェランはとても影響のある人。ほんまに理解して日本料理のことを発信してもらわなあかん」
と川崎は思い、様々な質問に対して丁寧に答えるのだが、
「フェランの質問は、基本的に西洋社会のルールに当てはまるか、なんです。日本料理を本当の意味で理解しようとしているようには思えなかった。拙速に、『日本料理を確立したのは誰なのか?』とか『その文献はあるのか?』と矢継ぎ早に。日本料理は文章に残すものではなく、あえて技術は秘密にしておくことが重要だったので、明確に記述されたものはほぼないのです。彼らの概念ではなく、こっち側の論理で理解して欲しい」
川崎はそう語った。
仲山も、「明文化されていない文化は消えてしまう。日本料理を美意識や文化も含めて文字で残して行くべき」と持論を展開し、さらには会場の参加者も巻き込んだ議論にまで発展した。
ある意味、衝突とも見えた二人の激論は、本対談中の白眉だった。とはいえ、両者は共に最後の未来に残す言葉として、「日本料理の言語化されない部分に着目するべき」と総括した。
小山薫堂によれば、「衝突こそが新しい進歩を生む」のである。
中田英寿がオーガナイズした日本酒が振る舞われた。
平原綾香のパフォーマンス
また、最上階では、中田英寿がオーガナイザーとなり、秋田県の「新政」、三重県の「而今」、栃木県の「仙禽」、熊本県の「産土」、京都府の「日日」の各種日本酒が、ディナー前に振る舞われた。
アフターパーティでは、フルコースディナーで満腹状態の平原綾香がパワフルな歌声を夜のしじまに響かせた。
平原綾香の歌声が海上に響きわたった。
2日目、下船前の朝食もまた印象的なものだった。新米「晴天の霹靂」の白米に、目玉は、サスエ前田魚店の自家製イワシの干物と、里山十帖の桑木野による山菜汁が供された。フィナーレを締め括るに余りあるほど美味しい朝食だった。
このイベントが数年に一度は開催されることを切に願いたい。 (文中・敬称略)
Toshizumi Ishibashi
「クレア」「クレア・トラベラー」元編集長
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